田尻科研シンポに参加して この記事はPDFファイルでもご覧いただくことができます。 2007年11月24日
今日、広島大学で行われた科研シンポジウム「田尻悟郎氏英語教育実践の解明」に行って参りました。広大の柳瀬先生のブログで知ったシンポジウムでしたが、英語教育関連に限らずシンポジウムというものに行ったことのなかった僕です。どんな感じなのかと興味もあり、不安も少し抱えていましたが、結論から言えば今日行われたシンポジウムは僕にとって非常に刺激的なものでした。広島に住んでいるということで参加するのに都合の良かった僕ですが、中には参加したくても遠方に住んでいたり、時間的・金銭的に都合が合わなかったりして今回の参加を見合した方もいらっしゃると思います。そこでこの記事では今回のシンポジウムがどのようなものであったのかを僕の頭の整理も含めて振り返ってみようと思います。ただし、以下で述べる内容は僕のメモや記憶を頼りにして復元されたものですから中には情報的に間違ったものが含まれているかもしれません。あくまでも僕が僕の視点で今回のシンポジウムをどのように捉えたのかという記述に過ぎないことを前提としてもらい、情報として間違っているものに関してはやさしく指摘していただければと思います。「やさしく」をもう一度強調しておきます(笑)。 まずは以下に今回の講演者と進行メニューを示しておきます。
僕は柳瀬先生、大津先生、田尻先生のお名前は知っていましたが、横溝先生と春原先生は勉強不足のため存じ上げませんでした。 以下に講演者順にお話になった内容を振り返ってみたいと思います。なお、青色で示すものは講演者のお話になった内容を表し、黒字で示すものは僕の意見なり感想であることとします。
大津先生のお話は、母語(日本語)の仕組みとその働きについての知識が英語教師には必要であり、両者の適切な対比が子どもたちの「ことばへの気づき」を促すのだというものだったと記憶しています。最初はヒゲトリオ(大津先生、菅先生、田尻先生)が飲み屋に行ったら誰が一番もてるかという気さくな話題から始まった講演ですが、次第に専門的な議論になってゆきました。文は単語から始まり、語順が必要となり、それが句構造を作り、統語範疇(語や句の種類)を問題にさせ、句間の関係において階層構造を作り出すのだという説明を“John chased the girl.”を例にとり行われました。統語分析に用いられる木をひっくり返したような形の図(樹形図)を用いて文が階層構造になっているということを示されました。樹形図を示すことにより文は二次元構造をしているのだということを示されましたが、その後、文は二次元に留まらず三次元構造をとるのだということをおっしゃいました。このあたりの説明は凡人の僕などには理解が難しいところでしたがそうなるのかということで一応は了解をする以外にはありません。ここからが実際の英語教育の話題となりました。大津先生曰く、大事なのは三次元構造をしている文(法)を中学などで実際に生徒に教える際は、いかにしてそれを一次元構造であるかのように見せてやるかというところにあるといいます。これをするには、英語学や言語学の純粋な世界を離れて、「技」が必要となるようです。そして話題は田尻実践に移っていきました。例にされた田尻実践は「桃太朗伝説」というもの。大津先生は次のような文を例に挙げておられました。 (1)He reads
books every day. これは主語が三人称単数で現在文の時に一般動詞の語尾につくsについての指導が問題になっています。(5)は初級学習者がよくやる誤りであり、このミスをさせないためにどのような指導を行うのかについてはベテランの英語の先生でもなかなか上手に説明ができないものであるといいます。それが田尻技だと説明ができるというのです。ここではその田尻実践「桃太朗伝説」についての説明は省きますが、詳しくお知りになりたい方は「達人授業の実践指導事例集」というビデオが出ていますのでご覧になるとよいかと思います。僕は大学図書館で見つけて、見ました。 大津先生は例に出した田尻実践「桃太朗伝説」について、三次元構造をした文を一次元構造であるかのように見立てるというやり方に関してはまことに見事としかいいようがないと評価されておりました。 このような実践を行うことのできる田尻悟郎なる人物を支えるものについても大津先生は分析をなさっているようで、(1)田尻先生の並外れた言語感覚、(2)言語感覚に支えられた分析力と創造力、(3)好奇心・サービス精神、を挙げられました。 田尻実践から僕たちが学べること。それは表面的な模倣ではなく、自らの(1)言語感覚を磨くこと、(2)分析力を磨くこと、(3)創造力を磨くこと、(4)好奇心・サービス精神を身につけること、だといいます。また、田尻先生の実践を支える上で大きなものに、田尻先生自身が母語(日本語)の仕組みとその働きについて豊富な知識を持っておられるという点があるといいます。田尻先生の授業は英語による説明、日本語による説明に加え、日本語と英語との対比が重要な役割を果たしていると評されました。これが生徒の「ことばへの気づき」を促すことにつながるというのです。そう言えば、「ことばの力を育む―小学校英語を超えて」という慶應義塾大学言語教育シンポジウムの紹介もありましたね。ちゃっかりと。僕もこれに参加したいと思っていましたが、慶応なのでなかなか遠い。ちょっと無理っぽい感じですね。 と、こんな感じで、大津先生の講演は終了しました。非常に大雑把な講演紹介ですが、次に行かせていただきたいと思います。
言い忘れましたが、講演者の講演に対するタイトルは僕が勝手につけたものですから誤解のないようにお願いします。 柳瀬先生のお話はおよそ10年前に初めて会って圧倒された田尻先生を作り上げたのは何なのかという問いから始まりました。田尻先生をもって天才やカリスマで終わらせてしまったらもったいない。田尻科研が始まる前から柳瀬先生はいろいろやってらしたようですが、何か物足りなさを感じておられたみたいです。悩んでいるうちにたどり着いたのがニクラス・ルーマン (Niklas Luhmann) のシステム理論とやらで、この理論を人間のコミュニケーションの定義らしきものに発展させ田尻実践分析に援用したというのが今回の発表であったと僕は理解しています。これは田尻悟郎分析にとどまらず、何が良い英語教師を作るのかという問題煮まで発展可能な理論だとおっしゃっていました。具体的には田尻実践の観察を通して得られた漠然とした仮説を先ほどのルーマンのシステム理論と語用論の中にある関連性理論を用いて定式化してみるこころみのようです。語用論(Pragmatics)とは聞きなれないことばですし、ましてや関連性理論などなんのこっちゃ分からないと思っていた僕(たち?)にも柳瀬先生は易しい説明をくださいました。どのような説明を下さったのか、また柳瀬先生がどのような発表をなさったのかについては柳瀬氏のブログ「英語教育の哲学的探究2」においてまとめられていますのでそちらをご覧ください。ルーマンのシステム理論というのを知らない僕が柳瀬先生のお話を伺って感じたことは、学者はある実践を目にするとそれをどこからか理論を引っ張ってきて定式化することに情熱を燃やすのだなということです。これはもちろん良い意味で言っています。僕などの一般ピーポーが田尻実践を目にすると「すごいなー」とか「面白れー」などと思ったとしてもそこから先に思考が進まないことが多いと思いますが、学者はその実践を分析し、定式化し、社会に還元をするのですね。優れていると言われる実践を分析し、何が優れているのか、どこが優れているのかが明確になれば、それをもとに普遍的なものが見えてきて、取り入れられるところは取り入れる教師が出てくる。新しい理論が生まれるというわけです。 ところで、柳瀬氏の講演の中で僕は特に次のことは心に残りました(頭に残ったのかな?)。それはコミュニケーションをコードモデルとしてみたときに生ずる誤解のお話です。
柳瀬氏のこのことばが意味していることについては考えてみる必要があると思います。この意味で言えば、教えたことすべてを暗記していなければ100点を取ることのできない中学校の定期試験は見直されるべきだといえるかもしれませんね。教えたことがすべて頭に入るわけではないというわけです。逆に教えてないことであっても生徒たちはやってのける可能性だってあるわけですよね。例えば先日学校の定期テストの問題についてつぎのような議論がありました。それは1年生のテストで、三単現のsに関する問題作成で観点別の評価は「表現」に分類されるテスト問題です(内容は変えています) 。
内容は忘れたため適当に作った問題ですが、このような6問中4問答えることが出来れば満点であるというテストがあってもよいと思います。議論になったのは誰かを紹介するという活動を事前に行っておくか、それともテストでいきなり出すかということ。僕はこの程度のことはテストでいきなり問うのが良いのではないかと考えたのですがね。 「教師が教えたことが全部生徒に伝わるわけではない」という点からは評価の出来るテスト方法だと僕は思いました。
教師研修を専門とする横溝先生。最初は「田尻実践を教員研修にどう活かすのか?」という演題での講演の予定だったようですが、いろいろ考えすぎて自己崩壊をしてしまったとのこと。ということで急きょ演題を変更。「田尻実践に出会ってしまった私たちはどうすればいいのか?」で講演がはじめられました。横溝先生の講演は田尻先生の授業風景を映したビデオを用いて行われました。第一のビデオは今年(2007年)の2月に中学校で撮影されたもの。取り扱っている内容は東京書籍の出している『New Horizon』の1年生版。UNIT8の最初の内容です。下にその範囲の英語の文を示します。 ここで田尻先生がこだわりを見せたのは「文の読み方」。最初から指導が入りました。最初のOh, no!の読み方に感情がこもっていないというのです。ちょうどクラスに大野君という生徒がおり、君らの読み方では大野君が返事をしてしまうではないか的な笑いも誘いながらうまい指導を行っていました。読み方のポイントとしては朝急いでいる感じを前面に押し出すというイメージです。ジェスチャーをつけながら「オウ!ノウ!」とやっていました。これを見ての感想はこのような指導を学校現場で見たのは田尻先生以外にはいないということです。もちろん現場に入って間もない僕なので偉そうなことはいえませんが、少なくともこれまで僕が見てきた授業ではジェスチャーを生徒に求めたり、教師自身が元気良く発音して見せる姿などを見る機会は皆無です。強いて言うならば塾ではその光景が垣間見られる場面があったように思います。僕は塾のアルバイトもしていますので、言えることです。少なくとも僕の勤務している塾の先生は元気。学校現場ではお目にかかれない元気さです。「アホやなー」や「バカタレ!」なども一種の笑いネタとして生徒に平気で言いますしね。田尻先生もそこらへんのコミュニケーションはうまく使いそうですね。 上のUNIT8でOh, no!の読み方ともう一つこだわっておられたのが最後のお母さんのセリフ“It's on your head.”。これをどのように読むかにこだわりをみせておられました。「チケットどこ?」「かばんどこ?」ときての「ぼうしどこ?」です。“It's on your cap.”にもそれ相応の言い方があるというわけです。ここらあたりに焦点を置いて授業を進めるとするという発想は僕の頭には残念ながらなかったということを告白しなければなりません。とても参考になりました。 横溝先生は「学びのサイクル」が確立していることが教師として進化し続ける田尻悟郎を支えているものだとし、これを研修に取り入れていきたいという思いを語っておられました。これが田尻実践から何かを学ぶための作戦その1だといいます。作戦その2は「型から入る」こと。自分の技を盗んで下さいと公言している田尻先生。遠慮なく盗めるところは盗みましょうというのです。うまくいかないことが出たとき、その解決策は自分の頭で考えてみよう。原因を調べて、やり方を少し変えてみることによって自分のスタイルを見つけようという提案でした。ここでは田尻先生が自分の技を学生等に教えている映像が流されました。内容は生徒に提出物を返したり、プリントを渡すときなどはしっかりと一人ひとりの目を見ながら渡すことが大事であるというもの。横溝先生も自分の生徒に試してみたといいますが、発音の声が大きくなるという効果が現れたそうです。これは明日からでも使えることですね。これを教わっただけでも今日は来た甲斐があったというものでしょう。作戦その3は「本人になったつもりで行動してみる」です。この場面、田尻先生だったらどうするかを考えてみようというわけです。この説明は省略します。 横溝先生の分析によると、田尻先生の行動を支える教育哲学は次の3つだと述べておられました。 (1)一人ひとりの学びに寄り添おう
ここで、この3つについて田尻先生ご自身が語っておられる場面が映像として流されました。田尻先生が語っておられた具体的内容については省略しますが、最も強調しておられたのは「夢(達成目標)を持つ」ということです。生徒にこんな風になってほしいという理想像を持ち、そのためには何をしなければいけないかを逆算して考える。教科書は夢(達成目標)を実現するために利用するものだということもおっしゃっていました。
20分の休憩を挟み、14時30分からは同じく横溝先生より「英語教師田尻悟郎のライフヒストリー」の発表がありました。ここでは30分近くの映像としてまとめられた田尻先生の生まれてからこれまでにいたる歴史を見ました。その映像はアルバム写真を交え、インタビューも挿入し、NHKの「プロフェッショナル」や「わくわく授業」でのシーンなども入れて編集してありました。横溝先生はこれをやるのに80時間以上もかっかったと告白なさっていました。ご苦労様ですとしか言いようがありません。楽しい映像だったと思います。映像の内容については紹介しきれないので省略いたします。
いよいろ田尻悟郎先生の登場です。 田尻先生の発表は「田尻実践を体験してみよう!」ということで今日、この会場で実際に学べたことは多かったと思います。田尻先生の発表用に事前に5ページ分の資料(3枚)が配布されていました。内容については折々紹介してゆきます。まずは「発音コーナー」から。 資料には「1.発音コーナー」として次の単語なり文なりが載せてあります。
ここで僕が参考になるなと思ったのは次のこと。それは「既知の情報と既知の情報」「既知と未知」を結びつけるというもの。つまり生徒がすでに知っている情報と新情報をうまく結び付けてやる、あるいはすでに知っている情報でも意味が注に浮いていて丸暗記に頼りっぱなしであると思われる単語について「ああ、そうなのか」とか「ああ、だからなのか」と思わせるように意味に根を張らせる情報をちょこっと出してみせるということです。例えば、“volley”で言えばまずその発音を確認されました。アメリカでは「ヴァリィ」だし、イギリスでは「ヴォリィ」。頭を「ヴォルヴォル」と掻くしぐさがすぐに出てくるあたりが天才的といわれるゆえんなのかもしれません。次に意味を確認されました。意味は…ボールが地面につくまでに触るという意味。地面につくまでにボールを触るのだから“volleyball”と説明。ここからが面白いのですが、この「地面につくまでにボールを触る」という意味に着目して、これがサッカーやテニスになったらどう言うだろうかという発問をすぐさま出されました。もちろん答は「ボレー」。サッカーであれば“volley kick”だし、テニスだったら“volley”のまま。“volleyball”という既知の情報と“volley kick”や“volley”という既知の情報が別個の回路ではなく直に一本の線で結びつけられる瞬間というのは面白いものです。hookについても「フック」と「ホック」。sewing machineから「ミシン」。lemonadeと「ラムネ」。ローマ字を日本に持ち込んだJames Curtis Hepburnの「ヘボン式ローマ字」。このような互いの情報を結び付けあう機会を与えることを中嶋洋一氏は「学びの磁界」と呼んでいるということも紹介されていました。 最後のポツの文章はthの音を鍛えるために田尻先生がお作りになった文章だといいます。リズムの良いCDに合わせて読んでいきました。最後には今日、講演にこられた先生方にマイクがまわしてみんなの前で読んでいただくという場面があり、盛り上がったと思います。 次には“No thank you.”の意味の確認。それから“May I help you?”の意味の確認。何かを勧められたときにそれを断るにはしばしば“No thank you.”が使われますがこれに対する日本語として「結構です」が当てられていることの意味のズレ。店に行くと日本では「いらっしゃい!」と大きな声で客を迎えるのに対して、“May I help you?”にはそのような雰囲気はないということ。定型表現として「暗記」の対象として扱われがちな“No thank you.”や“May I help you?”をこのような形で取り上げ、分析し、面白い形で説明することのできるところはやはりプロだと思いましたね。 僕がこのあたりまで来て思い始めたことは、田尻先生の授業中の説明には「直接的な説明」と「間接的な説明」が上手に使い分けられているなということです。直接的というのは読みの指導などで実際に自分が読んでみせ「こういう風にやるんだよ」という指導。一方で間接的なものとは田尻先生独特の「たとえ話」による指導。長嶋茂雄が出てきたり、桃太朗が出てきたり、はたまた社会人とはというお話では車の納期期限のお話が出てきたりと何かにたとえたお話で「ああ、そうなのかー」と思わせるように語りかける。直接的に「こうなんだー」というのではなく、伝えたいことを何かのたとえ話にすることによって場の雰囲気を和らげたり、説得ではなく納得をさせる仕掛けにしたりととても勉強しなるシーンでした。 2の「表現コーナー」ではエラーをさがせ!ということで2つの絵にある違いを見るけるという課題とそれを英語で表現してみるという活動を行いました。桃太朗の髪の毛が短い、桃太朗の右手の位置が低い、家の向きが逆、サルが持っているきび団子の数が多い、キジのくちばしが閉じている、おばあさんの着物の襟向きが逆、おじいさんの手がピースサインになっている、という7つのエラーについて英語でどう表現するかという活動でした。この活動では伝えたいことが先にあり、それをどうやって英語で表現するかが問題になる。だから団子がdumpling cakeと言うことや、鳥のくちばしをbeakと言うことなどを教えてやればすぐに頭に入ってゆく。田尻先生の生徒たちがこれらのエラーを表現するために限られた語彙の中で作り出した文もいくらか紹介されました。次の文がそれらです。 The old man is
posing peace. ここで「参考になるなー」と思ったのは生徒に答えてもらう際に「プレッシャーを与えない」ように心がけるということ。会場ではマイクをまわしてエラーをどういうか答えましたが、その際に「分からなければ次にマイクを回していい」というルールを先に示されました。この仕掛けをすることで不安に思う生徒はいなくなるといいます。答えたい生徒は答えるようになり、手を挙げるのが億劫な生徒もマイクが回ってくれば答える生徒も出てくる。分からなければ次にまわせばよいのです。プレッシャーに感じることなく授業に参加できるという仕掛けは僕が生徒だったら「大好き!」と思うことでしょう。 もう一つあります。授業で大切なこと。それは生徒の発想を引き出すということ。最後の「この老女は左から服を着たんだ」などという発想はなかなか出てくるものではないと思いますが、それを引き出す授業ができるところに田尻先生のプロの流儀があります。田尻先生いわく、授業の中で大切なのは「オー」「アッ、アッ、アッ、アッ」「アーッ、アーッ、ちょっと待って」とかという生徒が主体となって動くことで、それが授業を活性化するのであって、教師が「教える」授業では出てこないといいます。 次に行ったのは3文字カルタ。中学校1年生の文字指導で用いるといいます。「バ、バ、バーット」「バ、バ、バーッグ」などと言って、それを2人1組で出来るだけ早くカルタを取るという活動でした。大人でも楽しめるものですから中学生などに行えば盛り上がること間違いないでしょう。この活動を行うことによって生徒たちは子音と母音の結びつきが分かるようになるといいます。フォニックスを理論ではなくゲームで覚える仕掛けがこのカルタ取りということでした。このカルタ取り。もう少し発展編があるとのこと。それは英語の文を聞き、そこから推測されるカルタを出来るだけ早くとるというもの。例えば、“When I am tired or when it rains, I usually take a bus.”という英語を聞くと、生徒たちは“bus”のカルタを取るわけです。早くなってくると、“When I am tired or when it rains”のことろで取り出す生徒も出てきて、聞き取りの能力がつくのだといいます。生徒の意欲を引き出す引き出しをいくつも持っていることが教師の条件なのかもしれませんね。 最後に取り上げられたのは「教科書コーナー」です。教科書の文を示しておきます。
ここで田尻先生が問題にされたのは慎の最後のセリフ“Oh!”です。これをどう読むのか。感情をこめて読むことを要求されました。感情をこめるとなると何度も教科書を読み直し慎の気持ちを理解することが必要となります。 田尻先生は次のように発問をされました。 「“Look at this Christmas card!”って言ってるマイクの気持ちはどんなだろう?」 このように問われ、田尻先生は選択肢を示された。 「1. happy 2. angry 3. sad 4. others」 ここでも田尻技の一つを公開されました。それは「ドラえもん」と呼ばれる技です。「ドラえもん」とは何かというと選択肢1〜4の中で自分はどれだと思うかを自分の耳の上に手をやって指で番号を出すというもの。田尻先生の「せーの」の掛け声と同時に生徒たちは「ドラえもん」をします。これも一つのプレッシャーを取り除く仕掛けであり、授業を活性化させる技なのです。マイクを渡すときのルール「分からなかったら次にまわしてもいい」という仕掛けと同じです。「ドラえもん」は「君は何番だと思う?」「君は?」「君は?」というのを避け、生徒たちが自分の答を一人ひとり示した後に周りの友達と相談しあうという活動につなげてゆく仕掛けなのです。次のことばをもう一度教師は頭に入れておく必要があるでしょう。
ところで、最後の“Oh!”の読み方ですが、これは慎がオーストラリアでは夏にクリスマスがあるというのを知っていたことが表現されるように読む必要があるといいます。このOh!ひとつで授業をしてしまうあたりもカリスマ教師と言われる田尻先生の発想力を表しているといえます。 田尻先生の発表の最後は「聞き取り」でした。聞き取りの内容は次のような感じです。
質問1「この会話の場所はどこですか?」―「郵便局」 質問2「“Let me see.”と言っているときに郵便局員はどんな行動をしている?」―「重さを測り、料金表を見ている」 田尻先生はここを扱うときには2人一組でジェスチャーを交えた練習を行わせるとおっしゃっていました。ジェスチャーをさせてみると「おつり」の時に面白い光景が見られるといいます。
生徒にやらせると7ドル75セント支払うのに10ドル出したのにおつりが10ドル返ってきてタダで(7ドル75セント得して)荷物が送れてしまうやり取りが発生するようです。面白いですね。これは日本ではおつりは引き算で返しますが、向こうは足し算でおつりを返すことがあるというのも話すことのできる教材で文化の違いを知るのに適しているのです。 質問3「国はどこ?―1.アメリカ 2.カナダ 3.オーストラリア 4.イギリス」―「アメリカ」 これはおつりを渡すときに「チャリーン」と硬貨の音がしたことがヒントです。オーストラリアは25セント硬貨がないので「ブー」。イギリスはドルではないので「ブー」。残ったのはアメリカかカナダ。1ドル硬貨(loonie)が流通しているということでカナダっぽい感じがしますが、教科書を見るとアメリカとなっているようです。田尻先生はすぐに開隆堂に電話をかけ、この次から紙幣の音に変わったということです。
最後は田尻悟郎先生と春原憲一郎先生の対談が行われました。春原先生は日本語教育に携わっておられる方で特に外国からやってきたエンジニアなどに対して日本語を教えてこられたようです。今回のお話はコンクリートを専門とする人に100時間という短い時間の中で日本語をゼロから教えなければいけないという経験をなさったことを例に語られていました。彼らには先に現場があり、コミュニケーションはそこからついてくるというお話は必要があるからことばができるようになるということに通ずるお話でした。日本人と外国人。ことばがわからなくても互いに尊敬できるだけの技術を持っているという点でつながっている。両者の間につながりが出来ればコミュニケーションの場面が生まれ、釣りやコーラスクラブなどにも一緒に行くようになったりして、互いの関係がことばを育てるというわけです。彼らはそういった環境の下では日本語ができる。 しかし、いわゆる「試験」なるものをしてみると成績が悪い。しかし彼らにとっては必要な日本語が身についているというのです。春原先生の疑問は学校の教室でもそういった環境を用意してやることが出来ないものかということです。生徒たちが試験のためではなく何かの必要のために英語を学ぶ環境が用意できないものかということでしょうか。 話の流れで島根県広瀬町立比田中学校で行った田尻先生の授業を見ることに。これは「わくわく授業」で取り上げられた授業で、比田の自然を再認識し、生徒がそれぞれ詩を作ってみるという授業でした。春原先生によれば、ここでの比田中の生徒たちはまさに「現場の力」「今日そこでしか出来ない授業」をしているなと感じたといいます。その日の天気や生徒たちの状況を的確に捉えた授業ができる田尻先生を賞賛されていました。春原先生はそのような授業を「日和見の授業」とおっしゃっていたと思います。これはその日の日和を見て授業を作っていくという意味であると解釈できます。田尻先生が授業の中で使われていた曲“Never Saw Blue Like That”がまたすばらしい曲でしたね。 また、「ないものは自ら作れ!」というお話も面白かったと思います。春原先生はあるとき、アラビア語しかできない生徒に対して日本語を教えなければならない場面に遭遇したといいます。アルファベットも出来ない生徒に対して日本語の読みをどう指導するのか。アラビア語には3つの母音しかないといいます。指導に際してとても悩んだと思います。そこで春原先生が考え出したのがアラビア語で日本語を表記するということ。春原先生自身がアラビア語の基本を学び、それで日本語の読みを記述できるようになさったというのです。日本語にあるア・イ・ウ・エ・オのうちアラビア語でイ・ウ・エ・オを堂区別するかという問題はその授業のみで使う新記号を自ら考案しそれを教室内のルールにして指導を行ったというわけです。この経験と田尻先生の田尻式発音記号との間に接点を見るのです。
「ないものは自分で作ればいい」という発想は僕たちの思考を自由にしてくれると思います。 さて、対談の中で面白かったのは春原先生がおっしゃった“Learner Murder Case(学習者殺人事件)”。外国語を学ぶというのは本来はわくわくする気持ち、冒険心に満ちた気持ちになるはずなのに、学習が進んでいくにつれてだんだんと嫌いになっていくという現実がある。春原先生はこの原因の一つとしてパタン・プラクティスの弊害を指摘しておられました。学習を終えた生徒に「これでもう日本語をやらなくて済むのでうれしい」と言われたときに「今まで自分のやってきたことはなんだったのか」とじっと自分の手を眺めることが続いたことを告白なさいました。徹底的なドリルであるパタン・プラクティスをやったあとに生徒が言った「私たちは機械じゃない」という発言もそうです。外国語学習の本来の楽しさを忘れた教育を春原先生は「反教育」ということばで定義されました。外国語(ここでは日本語)を学んでそれが嫌いになるような教育とはいったいなんぞや、と問われているわけです。教師は最低でもその言語の面白さ、言語学習の楽しさを生徒に伝えるべきで、学習が終えたときに使えるようになっていなくても、また後で学んでみようと思わせるような教育をしなければだめであるという趣旨の発言もありました。 田尻先生も最初はパタン・プラクティス主体の授業で、出来ない子を責める、やらない子を怒鳴るという授業をなさっていたとおっしゃっていました。 春原先生は外国語教育の3つの機能について語られてもいます。それは次の3つです。 (1)翼を持ってもらう
(1)の翼を持つとはどこかに飛んでゆける力を持つということ。(2)の根を持つとは自分の存在を確認するという意味に私はとりました。(3)の種を持つとは次につなげてゆくという意味。 田尻先生のご自身の英語の授業では1年生はドリルをしっかりおこうといいます。2年、3年になるとコミュニケーション活動が増えてきて議論をしたり話し合うような時間もかなりあるようです。ある生徒に言わせれば「2年は比較級の授業などで議論をして楽しかった。3年の英語の授業は道徳だった」ということです。自分のことを考えたり、人のことを考えたり、世界のことを考えたりする英語の授業が生徒の心をゆすぶったというのです。 また、意味のある内容を扱わなければいけないということもお二人がおっしゃっていました。野球部の子に“What sports can you play?”などという問いはふさわしくないし、“Who is taller, Ken or Mike?”と絵を見せた発問も「見れば分かるじゃーん」と言わせるようなもので、中学校教科書で扱っている内容はレベルとしては幼稚園レベルだというのです。田尻先生は“Which is more important, dream or money?”という問いを生徒に投げかけたといいます。大事なのは“Which is more important, A or B?”におけるAとBであって、ここをしっかりと考えさせるような授業から比較級の本質を生徒たちに伝えなければいけないということなのだろうと思いました。「どこの出身なの?」を毎回の授業の導入として使っていた春原先生は、ある生徒から「先生、私たちの答を聞いてないでしょ。私はすでにその質問を5回答えました。もし覚えられないのなら、メモを取って下さい」といわれたそうです。そりゃそうですね。春原先生からしたらドリルのつもりで毎回の授業で尋ねていた文ですが、生徒からしてみると「この先生、同じ質問を何回聞くねん!」と思うのももっともです。彼らにもプライドがあったのです。
質問その1:「習熟度別授業の進め方で何かアドバイスをいただけないでしょうか」 田尻先生の回答:習熟度別授業は全国的に見てきわめて成功例が少ないので、やめたほうが良いでしょう。それよりも1つの授業の中で習熟度別に見てゆけるような手立てを考えてゆくほうが効果的なのではないでしょうか。 ここで僕が注目したのは田尻先生の「クラス一斉の説明はできるだけしないようにしている」という心がけです。田尻先生によれば、一斉の説明は分かっている子にとっては退屈な時間になるからだといいます。田尻先生は「分からん子おるか?分からん子は説明するからこっちにおいで」と言って子どもたちを集めて説明をするようです。 質問その2:「田尻先生の言うコミュニケーション力とは具体的にはどういった力のことなのでしょうか」 田尻先生の回答:コミュニケーションについて深く考えたこともあまりありませんが、3つのコミュニケーションの形態があると思っています。「英語でやりとりができる」というのがひとつ。英語でドリルをしている最中などに使われる「日本語でやり取りをして人間関係を調節するコミュニケーション」。そして先生の努力などが「30年後に伝わるコミュニケーション」がもう一つ。 質問その3:「先生の純粋性がこれまでに足かせになったという経験はありますか」 田尻先生の回答:苦しみのない人生と言うのはないと思いますが、中でも笑っている人というのは幸せな人だと思います。 質問その4:「今後、小中高などで出前授業をなさる予定はありませんか」 田尻先生の回答:大学の授業に自身がもてたときに改めて考えたいと思います。 質問その5:「英語指導の前段階として先生が行っておられる英語指導と生徒指導を結びつけるような活動が何かありましたら教えて下さい」 田尻先生の回答:90分×5回の時間を下さったら話はできます。ただ、一つ言うとすれば、5月の連休明けに、一年生に大文字テストをします。大文字を30秒以内に書きなさいというものです。でも「できたー!先生!」って持ってきた子はほとんど不合格にします。なぜかと言うと字が汚いから。そこで話すのが次の話です。「将来仕事で車を使うだろ。車の調子が悪くなって修理に出すとする。あさってまでに直しますといったら、そのあさってが絶対や。あさって行ってみてまだ出来てないとき「そりゃ、しょうがないな」と許してくれるわけない。それを許してくれるのは学校だけ。すみません部品が届いてないんですって許してくれるか。学校を休んだときは前の授業で何をしたかを友達に聞いて提出しないといけないものは自分で提出しに来る。仮にあさってという期日に間に合って直せたとしても、その車のブレーキがきかん、アクセルが踏めないなどの欠陥が見つかったらお金はもらえない。金返せ、二度と取引はしない…。中学校は社会人になるための3年間。敬語が使える。自分の出来ることをきちんと伝えられる。世の中は期限を守って最高品質で納めるというのが最低限のマナーなんよ。それを君たちは大文字から学ぶんよ」そうすると、次のテストではピチッと3本の線に合わせて書く子が多くなります。 また、面白かったのは次のことばです。 子どもたちは納得することばを求めているんです。授業中に遊んでいる子がいれば他の勉強したいと思っている子が迷惑をする。その代わり寝ているのはかまわん。迷惑かけんように寝とき。もっといいのは、じっとしておくこと。それが105回あるけどな。3年間で315回あるから、もしそれを勉強分からんけど50分あと何分と重いながらじっとしておくことができたら、君は英語を楽しんでいる子達よりもはるかに社会人の勉強が出来る。耐えるということ。これが嫌だったら友達に今やっていることを聞いて、一緒にがんばれ。 それでも反発する子に対しては話し合いをします。 この後はそれぞれの講演者が一言ずつ最後のことばをおっしゃって、今回のシンポジウムは幕を閉じました。とても有意義な時間を僕は過ごすことができたと思っています。今回のシンポジウムには300人以上の方が参加され、北は北海道から南は沖縄まで日本全国から英語教師田尻悟郎先生に関心のある方々がお集まりになっていたようです。12時30に広大に着き、30分ほど構内を迷い歩いてしまった僕ではありましたが、このようなシンポジウムがまた再びどこかで開かれることを期待してやみません。大津由紀雄先生を生で見られて感動しましたしね。ありがとうございました。最後に誰のことばかは忘れましたが、講演者が示された次のことばを残してこの記事を閉めたいと思います。
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